あの山この沢

丹沢、神ノ川日蔭沢(日陰沢)
犬越路に至る東海自然歩道が並行する
堰堤だらけの沢だが、ゴルジュや滝もある

画像をクリックすると拡大されます。


犬越路への道が左折
する所で沢に下りる

すぐに右から水量の
多い大岩沢が出合う

巨大な堰堤の下部が
完全にくり貫けている

道から直接大岩沢に
降りると見える堰堤

右岸沿いの登山道は
この堰堤上で左岸へ

新しく橋が架けられた

10m級の堰堤が続く

やっと岩床の滝

道は左岸から右岸へ

ゴルジュの奥にF1

F1、10m滝

F2、4m滝

F3、4段8m滝
どこからでも登れる
が岩がヌメっている

2m滝

ゴルジュが終わると
所々綺麗なナメ状の
平凡な河原になる

石積み堰堤が現れる
直登できる

石積み堰堤直下の
ミニゴルジュ?

最後の石積み堰堤
右岸から道が出合う

最近の台風10号
で登山道も崩れた

神ノ川ヒュッテのすぐ
上で右から沢が合流

コースタイム
神ノ川ヒュッテ560m(7分)犬越路へ道が左折する所で沢に下降615m
すぐに大岩沢出合
(5分)右側下部がくり貫けている堰堤640m
(4分)
登山道から直接大岩沢へ下降する場合の下降点直上の堰堤650m
(5分)
登山道が横切る堰堤上の木橋665mコンクリート堰堤が3つ
(18分)
1.5m滝745m(6分)登山道の木橋760m(5分)二俣左へ790m
(3分)F1(10m滝)下795m(6分)F2(4m滝)上815m
(10分)大きな石積み堰堤(6m)855m石積み堰堤5つ続く
(10分)
コンクリート堰堤上880m(3分)登山道と合流してガレ場となる堰堤上905m終了点
(13分)上流の橋760m(8分)下流の橋665m(15分)神ノ川ヒュッテ

2004年8月7日
日蔭沢は日陰沢と表記してある地図もある。沢の名称は日蔭沢で、神ノ川ヒュッテ下にある舗装道路の橋には日陰橋と書かれている。
★日蔭沢は神ノ川ヒュッテ西側に流れているけっこう水量の多い沢で、犬越路を源流としているが、水流はかなり下の方で涸れる。東海自然歩道になっている犬越路への登山道がこの沢に平行していて、登山道から見下ろせる限りは堰堤だらけの沢 だ。登山道は沢の右岸になったり左岸になったりで、木橋がかかり、沢登りの対象になりようもない沢だ。したがって、こんな沢を遡行した記録も見当たらないし、ガイドもない。とても滝などあるようには思えなかった。
ところが、神奈川県山岳連盟が本年(2004年)「創立50周年記念史 」として発行したかなり分厚い記念誌『山っていいな』の中に記念事業として"地元"の丹沢の集中山行の記録が出ていて、 分担した相模原の某山岳会によって「日陰沢」も掲載されているのだが、これによると日陰沢にも幾多の10m級の滝があることになっているのだ。遡行図まで掲載されて、ご丁寧にも遡行した沢から右にしっかりと大岩沢も分岐して描かれているし、遡行した沢につかず離れず登山道が 並行して犬越路に突き上げていることになっている。はたして彼らはどこの沢を遡行してきたのだろうか? どこの沢を「日蔭沢」ということにしてしまったのだろうか? 
この文献を見る限り、これは行って見なくちゃいかんなと誰もが思い始めるいい沢ということになるだろう。しかし、犬越路への東海自然歩道を何度も歩いたことのある人なら誰もが、あの堰堤だらけの沢のどこに そんなに沢山大きな滝が隠されているのだろうか、中腹の自然歩道と沢がガレの中で一緒になる所まで、あるいは犬越トンネルからつながる山腹をトラバースしている仕事道まで、どうすれば5時間もかかってしまうのだろうかと疑問を持つに違いない。また、途中2度、終了点も入れると3度も自然歩道と交差するにもかかわらず、 確かに遡行図にはそのように描かれているにもかかわらず、記録の中には途中の登山道との交差に触れることもなく、どうして終了点で下山の道を探すことになったのだろうか。迷いようもない超短い沢でどうしてこんな混乱した記録になったのか、行って見て来ることにした。
★日蔭沢を遡行するには、あまりに短い沢なのでなるべく長く流れの中にいたいなら、神ノ川ヒュッテ横のテント場から沢に入ればよい。しかし、しばらくは岩コロの河原と堰堤が続く。どこから沢に降りようとこの沢は堰堤だらけだから、同じことでどうのこうの言っても仕方がないが、ヒュッテの少し上流で右から合流してくる枝沢を大岩沢だと勘違いしないためには、犬越路へのコンクリの山道を少し登ったほうがいい。
最近利用者が増えてきた大室山への日蔭沢新道を利用したことのある人なら勘違い誤解することないだろうが、日蔭沢から分かれて日蔭沢新道に入ってしばらくは右手にそれなりの水量の小沢が見える。日蔭沢本流対この小沢の水量比は記念誌にも出てるように4:3ぐらいだろう。しかし、 この小沢は少し登っていくと急に水は涸れ、日蔭沢新道自体がこの小沢のガレをトラバースしてこの沢から離れる。この小沢は大岩沢ではない!
さて犬越路へのコンクリ道を登っていくと、右手の木の間越しにもこの小沢が見える(4列目5番目の写真)。 コンクリ道には大室山に至る標識も出ているし、ここから日蔭沢新道に取り付くんだと誰でもわかるようになっている。
★日蔭沢に降りるのはもう少し先、コンクリ道が左に大きく曲がる所がいいだろう。水量の多い沢に降りると、すぐに右から日蔭沢に合流する大水量の沢との二俣になる。水量比は1 :2ぐらいで、右からの沢の方が多い。「あら、水量は本流より多いわ」ということで、これが大岩沢だ。 大岩沢の遡行はこちら
★もう大岩沢とは分かれたつもりだと、またまた大岩沢と分岐するわけにはいかないから、ここで水量の多い方を日蔭沢と勘違いすることになる。これで神ノ川ヒュッテ横から沢に入った某山岳会5人パーティ全員の勘違いのおおよその謎は解けた。もっともこの場合、左のそれなりの水量の沢はなんだろうと疑問に思うのが普通だが。
大岩沢を遡行する場合、大岩沢の出合が分かりにくいと言われる。これは大抵は沢に早く入りすぎるからだ。大岩沢が目的の沢なら、コンクリ道が左へ曲がる所で沢に降りないで、もっとコンクリ道を登る 。いったん沢から離れた道がまた沢に近づき堰堤脇が広場になって植林された所に、「大矢沢」の標識や神奈川県第24回植樹とか何とかの杭が立っているから 、通常はここから沢に降りる。降りた所に流れる沢は日蔭沢で、大岩沢はこの日蔭沢を渡渉してちょっとした台地の向こうに流れている。 だから、ここは正確には「大岩沢出合」ではない。出合は少し前の行に書いたようにもう少し下流にある。大岩沢と日蔭沢は中洲のような台地をはさんで距離にして50〜60mぐらいは平行して流れているのだ。
★日蔭沢の遡行に話は戻って、先の大岩沢出合から大岩沢に入らないで、水量の少ない左の日蔭沢に入るとすぐにものすごく幅の広い堰堤にぶつかる。この堰堤は右半分の下部が完全にくり貫けていて、正面の滝のようになっている日蔭沢とは別物の水流がその堰堤の下を流れている(1段目3番目の写真)。この流れが大岩沢だ。この堰堤を見ていると、どんなに堅牢強固な構築物で水の流れを食い止めても無駄なのだと思い知らされる。 この堰堤は、もともと日蔭沢と大岩沢の二つまとめて堰き止めた堰堤なのか、あるいは土砂に埋まった堰堤湖(ダム湖)に注ぐ大岩沢が堰堤の崩壊とともに新たな水路を作って水流が平行することになったのか?
★堰堤の下をくぐって、その流れをそのまま遡行すると大岩沢に入ってしまうので、左の堰堤の高さにある水流にもどる。こちらが日蔭沢だ。日蔭沢に戻った所からさらに右岸の台地に登ると、「大矢沢」の標識のある植林 の広場だ。
★日蔭沢を進むとすぐに1列目4番目の写真の土手風堰堤がある。右から越え、次のコンクリ堰堤は左を越え、その次の土手風堰堤(5番目の写真)を左から越えようとすると、そのまま右岸の東海自然歩道に合流する
★東海自然歩道はこの土砂で埋まった堰堤上の河原を横切って左岸の植林帯に入る。沢は3つほど巨大な堰堤が続く。はじめのコンクリ堰堤は右から、次の2段コンクリ堰堤も右を、その次の2段コンクリ堰堤は左を越す。ここでやっと岩床の1.5m、1mと小振りだが小滝が現れた。
すぐに東海自然歩道が木橋で横切る。この自然歩道はここまでずっと沢に面する斜面についていたが、ここで左岸から右岸に渡った後、歩道は沢を隔てる小尾根の左側を大きく巻いて丸太階段のジグザグ急登となる。
日蔭沢はこの自然歩道が沢の側壁・斜面に付けられないここからしばらくの区間が核心部だ。小規模なナメを過ぎると二俣となる。ここは自然歩道から離れないためにも左 に行く。水量も左が本流だ。
二俣を過ぎるとゴルジュとなり、前方にF1、大きな滝が見えてくる。滝の下で右からもかなり細い水流が落ちていて、こちらは15mのツルツルの滝となっている。10m滝F1は、細かいホールドがいっぱいあるので直登できるが、ほとんど日が当たらないためヌルヌルにぬめっている。水流左を下部はシャワーを浴びながらの登攀となる。ここの高巻きルートはない。かなり戻って結局東海自然歩道を 登る大高巻きしかないだろう。
F1上に水流の幅の広い4m滝F2がある。手前は小さな釜となっている。左をへつって、少し水を浴びながら水流左を登る。
★4段8m滝F3は、1m、2m、4m、1m小滝のつながりにすぎない。次の2m小滝を過ぎると、高さ6mぐらいの大きな石積み堰堤が現れ、手前に深い淵とゴルジュのミニチュア版があり、ゴルジュもここまでだ。この石積み堰堤は城の石垣登りのつもりで直登する。
もしもF1手前からのゴルジュ帯を高巻くとする、自然歩道経由でこの堰堤付近を笹薮をかき分けて強引に下降してくることになるだろう(もう下降自体さして意味ないが)。下山で気付くが、右岸の自然歩道も小尾根の東側を巻いて来たあと、この石積み堰堤上あたりからまた沢側の斜面についている。
★この大きな石積み堰堤はこの後さらに2〜3mの物が5つ続き、すべて石垣登りで直登する。
★さらにコンクリ堰堤を右から越すと休憩したくなるような明るい河原になり、水流は細くなり、すぐに途切れ途切れになる。
水流の消えた最後の堰堤を左から越すため左(右岸)の斜面を這い上がると、そには右岸沿いの自然歩道が通っている。合流した後、道は堰堤に上がって、堰堤上のゴーロを犬越路へ向かっている。犬越路まで0.4kmの標識がチョット先に立っている。もう少し上方を見ると犬越トンネルから山腹をトラバースして大岩沢中流、平石沢上部に至る仕事道の標識も見える。
★登山道はガレとなった日蔭沢の上部を巻いたり横切ったりしながら高度を上げて犬越路に至る。沢の遡行もこれ以上はあまり意味がないので、ここから自然歩道を素直に下山すれば、およそ30〜40分で神ノ川ヒュッテに戻れる。
★先の「山っていいな」の記録では、この下山道をわざわざ探すため左岸を這い登ったらしいが、このあたりでは東海自然歩道は右岸を通っているわけで、このパーティは自分達の現在位置さえわかっていないのだ。そもそもこの日蔭沢を登るなら何度も自然に登山道と一緒になってしまうのに、このことは掲載されている遡行図でもそう描いていながら、この登山道を探す「努力」を したらしい。さらに仕事道を経由して日蔭沢新道を下山したらしいが、降りついたら自分達が大岩沢と勘違いした小沢出合だったことさえ気付いていない。最後まで勘違いして帰宅したとしても、地図と照らし合わせて メモをまとめ整理しているうちに、「こちらの沢に行こうとしたのに、あちらの沢を遡行しちゃったな」と気付きそうなものだ。パーティ全員がいまだに気付かないとなると、笑っちゃいますの類で、沢の素人集団に違いない。
そもそも津久井郡は神奈川県といっても、「神奈川のチベット」と言われるぐらい、県の行政から見放されている地域だ。最近この津久井郡が相模原市に合併される話など持ち上がっているが、相模原市の山岳会でさえまったくの 一般道にすぎない東海自然歩道、日蔭沢新道を知らないぐらいに、この地域は神奈川や相模原の人々とは無縁・無関係なエリアなのだ。本当に”地元”なんていえる地域なのか。自らの市域に組み入れようとしている地域を山に行く人ですらほとんど知らないような合併話など、あまりに地理的文化的風土や生活圏を無視した机上プランにすぎないだろう。

<home       <丹沢top